プラトンとアリストテレス
古代ギリシア哲学者プラトン(前427-前347)は至高のイデアは善であるとした。この直観的、主観的な考えに対して、弟子のアリストテレス(前384-前322)はプラトンの哲学をそのまま踏襲したのではない。彼はすべての理論は、立証できる事実の裏付けが必要であり、観察と厳密な論理を哲学の基盤とした。これに対してプラトンはアリストテレスを「書物の人」と言ったり、「クセノクラテス(第3代アカデメイアの学頭)には拍車が必要だが、アリストテレスには手綱が必要である」と言っている。プラトンはアリストテレスの俊敏さは認めるものの生意気な青年にみえたのかもしれない。しかし、アリストテレスはプラトンが死ぬまで20年間、忠実なプラトン学徒として、アカデメイアで活動した。後年、アリストテレスは師プラトンのイデア論に反対して、一元論の立場をとった。世間の人々はアリストテレスの態度を背徳忘恩の徒として非難したが、彼は「真理も友も、共に敬愛すべきであるが、私は友以上に真理を愛す」と言い、終生師プラトンを畏敬し続けた。(Plato,Aristotles)
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