無料ブログはココログ

« パーカー牧師とタルボット神父 | トップページ | エジソン、小学校を3か月で退学 »

2012年9月14日 (金)

ヤスパースとハイデッガー

67c5be53fefc2063313e622b2fc3ceee   2人が初めて出会ったのは1920年フライブルク大学のフッサールの誕生日のお祝いの席であった。ヤスパースはハイデッガーのいかにも哲学者らしい語り口にすっかり魅了された。それ以来2人は家族ぐるみの交わりをするようになった。しかしその後1933年にハイデッガーは、ナチスが支配するドイツでフライブルク大学の学長に就任した。他方、ハイデルベルク大学の教授であったヤスパースは、ユダヤ人の妻を持つていたため、ナチスの反ユダヤ主義によって大学を迫害された。戦争が終わった1945年には、ヤスパースはハイデルベルク大学の教授に復帰し、ハイデッガーはフライブルク大学から追放された。戦後ハイデッガーはヤスパースに「私は単純に自分を恥じる」と書き送っている。ハイデッガーは現代最大の哲学者だが体系的な著書を残さなかった。彼の師はフランツ・オーバーベックといい、ニーチェとも親交があった神学者である。ハイデッガーは生涯にわたりオーバーベックを尊敬していた。(参考:「ヤスパース・ハイデッガー往復書簡1920-1963」名古屋声大学出版会、松田幸子「ヤスパースとハイデッガー」上田女子短期大学31 2008年)Martin Heidegger,Karl Jaspers

« パーカー牧師とタルボット神父 | トップページ | エジソン、小学校を3か月で退学 »

哲学・思想」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« パーカー牧師とタルボット神父 | トップページ | エジソン、小学校を3か月で退学 »

最近のトラックバック

2024年12月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31