ヤスパースとハイデッガー
2人が初めて出会ったのは1920年フライブルク大学のフッサールの誕生日のお祝いの席であった。ヤスパースはハイデッガーのいかにも哲学者らしい語り口にすっかり魅了された。それ以来2人は家族ぐるみの交わりをするようになった。しかしその後1933年にハイデッガーは、ナチスが支配するドイツでフライブルク大学の学長に就任した。他方、ハイデルベルク大学の教授であったヤスパースは、ユダヤ人の妻を持つていたため、ナチスの反ユダヤ主義によって大学を迫害された。戦争が終わった1945年には、ヤスパースはハイデルベルク大学の教授に復帰し、ハイデッガーはフライブルク大学から追放された。戦後ハイデッガーはヤスパースに「私は単純に自分を恥じる」と書き送っている。ハイデッガーは現代最大の哲学者だが体系的な著書を残さなかった。彼の師はフランツ・オーバーベックといい、ニーチェとも親交があった神学者である。ハイデッガーは生涯にわたりオーバーベックを尊敬していた。(参考:「ヤスパース・ハイデッガー往復書簡1920-1963」名古屋声大学出版会、松田幸子「ヤスパースとハイデッガー」上田女子短期大学31 2008年)Martin Heidegger,Karl Jaspers
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