宮沢賢治の信仰心
宮沢賢治の一家の宗教は浄土真宗で、両親もかなり信仰の篤い人たちだった。母イチは賢治を寝かしつけるときにも、人は何のために生まれて来たか、世のためになるようにと語りきかせていた。賢治の幼い心に、母の慈悲深い心が伝わっていた。少年時代の賢治は、父親から今にお前は何になると聞かれた時に、「むやみにえらくならなくてもいい」と言った。そんな答え方では満足しない父が一層強くたずねると、「寒いときには鍛冶屋になればいいし、暑いときには馬車屋の別当になればいい」と言ったという。
賢治は大正3年9月、18歳のとき「漢和対照妙法蓮華経」を読み、感動し、体のふるえを禁じ得なかったという。浄土真宗を信仰する父・政次郎と、法華経を読んで以来日蓮宗を信ずる賢治とは争ったが、賢治は生涯、法華経の精神をもって生きた。
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