忘れられた先覚者・古賀謹一郎
古賀謹一郎(816-1884)といってもその名前を知る人は少ない。幕臣、儒学者で老中阿部正弘のブレーンとなり活躍、1857年、蕃書調所を設立。蕃書調所とは欧米の言葉と学問一般を研究するために、幕末に設立された幕府の学校であった。東京帝国大学の前身といえなくもない。古賀は最初の頭取、つまり今でいう総長である。維新後は新政府への出仕を断り、引退。静岡で隠棲。享年69歳。墓は東京都文京区の大塚先儒墓所。
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