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2012年8月17日 (金)

ふるさと群馬

    群馬は上毛野(かみつけの)の略から「上野」(こうずけ)」といわれていた。もともと山内上杉氏の守護国であり、同族の越後上杉氏の強力な支援を得て、古河公方足利成氏や扇谷上杉定正に対抗してよくその勢力を保っていた。しかし北条氏の勢力が及んで、上杉氏の支配を脅かすようになった。1544年河越城の戦いでは北条氏の勝利であったが、上杉謙信、武田信玄、北条氏康の三つ巴の争覇の時代を経て、1566年に武田信玄によって西上野は武田氏の勢力下となった。しかし武田勝頼の滅亡後、北条氏の勢力下となる。1590年、豊臣秀吉の小田原攻めにより北条氏が滅んで、徳川家康が江戸に入り近世を迎える。家康は川越を江戸北方の守りを固める枢要の地として幕府の重臣を配置した。川越の本格的な発展は寛永15(1638)年の大火後、松平伊豆守信綱による城郭や城下町の拡充整備と、新河川舟運の開設以後のことになる。

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