歴史と講談
NHK大河ドラマ「龍馬伝」の後も坂本龍馬ブームは続いている。龍馬の人物評価をめぐっても革命家とみるか、死の商人とみるか、人によって大きく対立している。もともと大河ドラマはそれまでのドラマとちがって史実を忠実にドラマ化することで知られていた。たとえば「草燃える」では、弁慶が登場しなかった。しかし歴史に倣ったドラマづくりとはいえ、面白く見せるためには脚色も多い。ここ数年の作品には、とくに顕著に目立つ。篤姫と小松帯刀が恋仲であったり、囲碁をするシーンがたびたび登場。龍馬が池田屋事件直後に現れる。平清盛と源義朝の一騎打ち、などなど。つまり歴史ドラマはあくまで歴史に名をかりた虚構の世界であり、「講釈師、見てきたように嘘をいい」のたぐいである。鍵屋の辻で荒木又右衛門が敵を36人斬った、というのは芝居の世界では大衆の認めるところである。小説家も歴史小説を書くには苦労した。創造力の不足を託つ森鴎外も「興津弥五右衛門の遺書」以降、歴史を題材とした小説を書いたが、創造の自由を束縛されることに悩んだことは「歴史其儘と歴史離れ」でよく知られている。のちの時代作家は、小説に架空の人物を設定した。大佛次郎の「赤穂浪士」では蜘蛛の陣十郎、司馬遼太郎の「燃えよ剣」では七里研之介である。このような虚構の世界を見た大人が、龍馬を理想像とすることは野田正彰ならずとも苦言を言いたくなる。脳科学の茂木健一郎と精神医学の野田正彰は対極である。(「人生が驚くほど変わる龍馬脳のススメ」茂木健一郎著。坂本龍馬のような人間になりたい人にお薦めです、とある。いかにも龍馬ブームに便乗したキワモノである)精神医学の見地からは、歴史上の人物を自己の理想像とすることは、自己同一化することで、現実世界の自分が存在するので、人格の分裂を招くのでよくないそうである。龍馬ブームの背景にあるものが、ナショナリズムを賛美するものなのか、社会の幼稚化なのか明らかではないが、あくまでドラマや講談の世界であることを認識しておくほうがよいだろう。
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