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2012年8月12日 (日)

坂本龍馬を尊敬していた谷干城

   土佐藩はいち早く討幕運動を始めながら、武市瑞山の刑死、坂本龍馬、中岡慎太郎の暗殺など有為な人材を失い、鳥羽伏見の戦いでは薩長に出遅れた。土佐には明治を見ずに世を去った志士が多い。後藤象二郎(1836-1897)、板垣退助(1837-1919)、福岡孝弟(1835-1919)、神山郡廉(1829-1909)、佐佐木高行(1830-1910)、岩村通俊(1840-1915)、岩村高俊(1846-1906)、土方久元(1833-1918)、岡本健三郎(1842-1885)、古沢迂朗(1847-1911)、細川潤次郎(1834-1923)、片岡健吉(1843-1903)らが維新後も要職を歴任した。

0001_l   土佐出身者のなかでも谷干城(1837-1911)は坂本龍馬を尊敬していた。谷は戊辰戦争、西南戦争でその名を馳せた。明治14年から政界へ転じるが、伊藤内閣の欧化政策を批判し、辞任する。国粋主義、農本主義的な立場から薩長閥や板垣退助の自由民権派とも異なる中正主義を貫き、土佐派重鎮を成した。谷は維新後も坂本龍馬暗殺の実行犯を探し、明治30年頃、元京都見廻り組の今井信郎が「自分が龍馬を暗殺した」と自供したとき、谷は「お前ごとき男に坂本さんが斬られるはずがない」と非難している。

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