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2012年8月20日 (月)

半井桃水と3人の女たち

Photo_2  成瀬もと子。   半井桃水(1860-1926)は、万延元年、対馬藩医半井湛四郎、藤の長男として対馬厳原町中村に生まれた。本名は洌(きよし)、別号は菊阿弥。11歳で上京し、共立学舎に学び、のち大阪魁新聞に入社。魁新聞が廃刊になると、父のいる釜山へ渡った。明治15年、釜山滞在中に京城事変が起こり、友人の推挙で釜山特派員として動乱を詳細に報道した。その手腕をかわれて明治22年、東京朝日新聞社に入社。釜山で成瀬もと子と結婚するが、1年後にもと子は病死する。

樋口夏子

   東京に戻った桃水は、新聞小説を次々と発表し人気がでる。明治24年のある日、野々宮菊子に連れられた樋口奈津という若くて美しい女性が桃水を訪ねてきた。萩の舎で歌の才能を認められた女だが、小説の修行を希望している。その1年後、桃水の主宰する雑誌「武蔵野」に樋口一葉という筆名で処女作「闇桜」を掲載した。しかし一葉は萩の舎で桃水との関係が噂になったことを気にして、師弟関係を絶つこととなった。

大浦若枝

    桃水は、もと子の死後も長く独身生活であったが、明治40年の「天狗廻状」が人気がでた頃、49歳で大浦若枝(大浦わか)と結婚した。朝日新聞には大正8年まで勤めて小説を執筆。晩年は長唄の作詞作曲で活躍した。大正15年、執筆中に脳溢血で急逝。享年67歳。作品には「亜聾子」「くされ縁」「海王丸」「業平丸」「胡砂吹く風」「天狗廻状」「伏見義民伝」「姿見ず橋」「大石蔵之助」。

    半井桃水は樋口一葉の日記にしばしば登場し、一葉によってその名が歴史に残ったといえる。一般には一葉の恋の相手として知られるが、桃水からみると一葉が二人の伴侶をしのぐほど大きな存在であったとは考えにくい。

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コメント

 半井桃水については、断片的な知見ばかりが頭に残っているのですが、――自分で調べないで聞くのもなんですが――彼のまとまった評伝はあるのでしょうか。
 お薦め本がありましたら、ご教示ください。

〔追記〕単行本では、上垣外憲一『ある明治人の朝鮮観 半井桃水と日朝関係』ぐらいなのでしょうか。

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