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2012年8月20日 (月)

光太郎と智恵子

Chiekokoutaro   高村光太郎(1883-1956)は、東京美術学校彫刻科を卒業し、その後研究科に在籍中、美校教授岩村透のすすめで外遊にでたのは明治39年、彼が24歳の時だった。高村光雲を父として彫刻の名門に生まれた彼は、その世俗的な家門の栄誉や、封建的な家風に絶えず激しい嫌悪と反抗心を抱きながら成長した。3年間の遊学を終えた光太郎は「パンの会」のメンバーとしてデカダンな日々を送っていた。そうした時に、長沼智恵子(1886-1938)と出会った。彼女は福島県の酒造家の長女で、日本女子大を出て、女性雑誌氏「青鞜」の表紙絵などをかいていた新しい女性であった。二人は、大正2年婚約し、翌年12月正式に結婚し、父光雲の建てたアトリエつきの駒込林町の家に入った。この年、光太郎は詩集「道程」を出版する。「僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る」に始まるが、光太郎の新年とは、この「道」が何であるかということを、自信をもって認識するようになったことである。そしてまた、「ああ、自然よ 父よ 僕を一人立ちさせた広大な父よ」と呼びかける「父」とは、もはや彼がかつて軽蔑と憎悪をもって反抗した父光雲ではなく、自然とよばれる万物創生のエネルギーのごときものとして認識し、それに若々しい信頼をよせているところに、彼の内部に新しく打ちたてられた成年の人生観を見るのである。光太郎と智恵子との24年間の結婚生活はその三分の一が妻の狂気という不幸な運命に見舞われたが、夫婦は至純の愛に結ばれ、愛ゆえに光太郎は多くの智恵子讃歌をこの世に残した。

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