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2012年8月13日 (月)

王政復古と民主主義

Photo   戦後こんな笑い話があった。民主主義というプラカードをつくろうとしたが紙がないので古紙に書いた。裏をみると八紘一宇と書いてある。日本の民主主義とは所詮こんなものだった。徳川幕府から王政復古がされ、無条件降伏で天皇の人間宣言され、つまり看板を書き換えただけで本質に何ら変わりはなかった。

    昭和20年9月2日、東京湾上に浮かぶ米艦ミズーリ号上で降伏の調印式が行われた。あの3月10日の東京大空襲からほぼ半年が経過している。当時ケペルの父母は墨田区に住んでおり、当然のこと家を焼かれ、親子3人は加古川へ疎開した。このときケペルはまだ生まれていない。この空襲で父母どちらかでも死んでいればこの世に生をうけていないことになる。昭和16年の開戦から3月10日までの死亡者数と、3月10日から8月15日までの死亡者数では、わずか半年なのに後者のほうが多いだろう。本土空襲、沖縄戦、広島、長崎。民間人の多くはこの半年で亡くなっている。天皇はこう述べている。「反対論の意見はそれぞれよく聞いたが、私の考えはこの前申したことに変わりはない。私は世界の現状と国内の事情とを十分検討した結果、これ以上戦争を続けることは無理だと考える。自分はいかになろうとも、万民の生命を助けたい。この上戦争を続けては、結局我が邦がまったく焦土となり、万民にこれ以上苦悩を嘗めさせることは私にとってじつに忍び難い。祖宗の霊にお応えできない。和平の手段によるとしても、素より先方の遣り方に全幅の信頼を措き難いのは当然であるが、日本がまったく無くなるという結果にくらべて、少しでも種子が残りさえすれば、さらにまた復興という光明も考えられる」昭和20年8月14日、皇居内地下壕で開かれた御前会議での昭和天皇の言葉である。いわゆる終戦の聖断であるが、まことに遅すぎた決断だった。

   戦後初の総選挙は、昭和21年4月10日のことである。結果は自由党140人、進歩党94人、社会党92人。自由党が絶対多数にならなかったため幣原喜重郎は4月22日、総辞職した。自由党の総裁である鳩山一郎が次期首班として天皇に奏薦されるはずであった。ところが5月4日、GHQは鳩山一郎を公職追放として通達してきた。理由は①治安維持法改悪時の田中義一内閣書記官長としての政治責任②斉藤実内閣の文相時代の滝川教授弾圧事件③日中戦争における中国侵略是認の言動④翼賛選挙のさいの挨拶状に記された、真珠湾攻撃を「幸せにもちかえた大勝利」の表現などである。こうして次期総裁として急浮上したのが吉田茂外相である。そして吉田・鳩山会談で鳩山は、自分の追放解除による政界復帰のさいには政権禅譲を告げた。これがのちの政権抗争の火種となる。そして60年以上が経過した。吉田・鳩山の孫の因縁の対決があり、政権交代があり、幾たびかの派閥抗争があり、東北大震災と原発事故があり、消費税増税があった。

   

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