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2012年8月13日 (月)

幕末の姫路藩「甲子の獄と戊辰の獄」

Img    姫路藩は徳川四天王といわれた本多、榊原、酒井等の諸大名が入れ替わって城主となり、所領を支配してきた。酒井家と勤王派と藩論が分裂していた。1863年の八・一八の政変後、藩論が佐幕派に傾くのを見た河合惣兵衛(1816-1864)は、藩主酒井忠績(1827-1895)に攘夷決行を説き、藩論を主導しようとするが果たせず、甲子の獄に連坐し、1864年12月、自刃した。藩主忠績は1865年2月、江戸幕府の最後の大老となる。1868年姫路城が開城されるまで新政府への謝罪を拒み続けた。姫路では維新後も、戊辰の獄と呼ぶ勤王派による佐幕派への報復が行なわれた。(画像は酒井忠績)

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「日本史」カテゴリの記事

コメント

 何年前の記事に申し訳ありませんが、訂正をひとつ。
 姫路藩に入った酒井家は四天王の酒井家とはまた別の酒井家なのです。祖先は同じなのですが別家として発展していきます。

ご指摘どうもありがとうございます。酒井家の系図を調べると大きく2家があまして、徳川四天王の酒井忠次は左衛門尉系、姫路藩の忠績は雅樂頭系の家系ですよね。

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