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2012年8月25日 (土)

真杉静枝

Photo_3   真杉静江(1901-1955)は美貌の女流作家。福井県丹羽郡殿下村に生まれる。3歳で台湾に渡り、神官の娘として少女時代を父のいる台湾で過ごした。台中高等女学校を中退、看護婦をした。親の意向で17歳で結婚したが出奔、大阪で文学修行のかたわら大阪毎日新聞学芸部記者をしていた。大正末期、奈良に転居してきた武者小路実篤(1885-1976)とは昭和2年に知り合い庇護をうけた。そのころ実篤は竹尾房子と別れ、妊娠した飯河安子と結婚していた。昭和2年、東京へ移った静江と実篤の関係は昭和7年頃まで続いたが、彼女の言葉をかりれば「夕方になれば、白い蚊帳の中へ自分を残して、妻子の待つ家へ戻っていく男」だった。実篤と別れた静江は、昭和8年創刊の同人雑誌「桜」に参加、若い小説家中村地平(1908-1963)と同棲する。のち中村は宮崎へ帰り、戦後、宮崎県立図書館長(在職1947-1957)として活躍する。昭和17年、中山義秀(1900-1969)と結婚したが、昭和22年に離婚した。戦後は鏡書房を設立したり、昭和24年日本ペンクラブ有志と広島、長崎を視察、被爆少女に手術をうけさせるために尽くして社会的名士になったが、創作活動から遠ざかり不遇のうちに肺がんで没した。真杉静江の人生は、いろいろな男性遍歴で華やかであるが、女流作家としては優れた作品を残せなかった。しかし彼女と関係をもった男たちは皆それぞれに成功している。最初の創作集「小魚の心」(昭和2年)に収められた「松山氏の下駄」は武者小路実篤がモデルで佳作である。他に「帰休三日間」「ひなどり」「草履を抱く女」「その後の幸福」「甲斐なき羽撃き」「南方紀行」「天日爽やかに」「ことづけ」「鹿鳴館以後」「妻」「凱歌」「三つの誓ひ」「母と妻」「万葉をとめ・真杉静枝短編傑作集」「思はれ人」「鏡と鬢」「後宮の人」「花怨」「美しい人」「仇ごよみ」「愛情の門」「嵐の中の姉妹」「人生案内・小説」「梅の忌・久米正雄を悼む」「人間・性・モラル 真杉静枝・美川きよ対談」「女といふ魚より」「ふしぎ国の原爆乙女」「現代の恋愛観」。昭和30年6月29日、肺癌のため東大病院小石川分院で死去。54歳。墓碑は東慶寺にあり、高さ1m程の自然石には「真杉静枝墓」と刻まれ、背面には遺言が記されている。

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