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2012年8月 4日 (土)

天保水滸伝

Itako0017
延命寺にある勢力富五郎、笹川繁蔵、平手造酒の碑

    飯岡助五郎(1792-1859)は、寛政4年、相模国三浦郡田戸村の出身。若い頃に下総国飯岡(千葉県海上郡飯岡町)に流れて働いているうちに、雇われ先の網元の半兵衛に見込まれて、娘のすえと一緒になって所帯を張り、網元兼博徒、関東取締出役の道案内人を勤めた。

    笹川繁蔵(1819-1844)は、下総国羽計村の旧家、岩瀬七左衛門の三男として生まれ、力士崩れの博徒として、隣村の須賀山村笹川で一家を張り、助五郎の息子の堺屋の与助の嫁を世話したほど、双方親しい間柄であった。繁蔵の子分の筆頭に万歳村勢力富五郎という、力士崩れがいたが、富五郎の口書によると、集団で恐喝、婦女暴行その他の悪事の数々を重ねて、繁蔵と共に手配になった。これで裏づけられるように、笹川一家は香取・海上の両郡の村々を暴れ回ったもので、たまりかねた35ヶ村の惣代が集まって相談の上、繁蔵・富五郎の一件を関東取締出役桑山圭助に訴え出ると共に、逮捕を助五郎に依頼した。

    天保15年8月3日、逮捕状が助五郎のもとに届いたのを知った繁蔵は、倅の嫁まで取り持ってやった仲なのに、とんでもねえ了見違いだと、富五郎らと飯岡に先制攻撃をしかけたのが、4日の真夜中であった。逮捕の際、抵抗した助五郎は、両手の指に軽傷を負い、裏山に逃げ出して助かったが、夜明けを待ち、総勢22人で繁蔵らのあとを追い、翌未明、船で利根川をさかのぼって笹川を襲った。ところが猛反撃を受けて、飯岡方は死傷者9人を出し、勝負は笹川の圧勝だった。笹川の死者は1人で、それが平手造酒(1809?-1844)という用心棒だった。平手は千葉周作の高弟だったが、酒好きがわざわいして破門され、笹川繁蔵の客人となり、桜井寺に住んでいた。労咳のため、大利根河原の決闘で全身に傷を負って死ぬ。笹川一家は逃げ散り、繁蔵が笹川に舞い戻ったのは弘化4年、その年の7月、飯岡一家の闇討ちに遭い、どんだら橋で殺害された。繁蔵38歳の若さだった。残った勢力富五郎ら子分たちは、2年後、繁蔵の恨みを晴らすといって飯岡に殴り込みをかけたりするが、嘉永2年3月に追いつめられて金毘羅山で自決した。(参考:今川徳三「幕末遊侠伝」『日本の歴史12』)

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コメント

はじめまして、2007年の一月14日の天保水滸伝の記事を拝見しました。
参考文献のことで質問したいのですが、

参考:今川徳三「幕末遊侠伝」『日本の歴史12』)

この本のタイトルとはなんでしょうか?また出版社、出版年がわかりましたら、教えていただけないでしょうか?
上記のメールアドレスまでご連絡いただければ幸いです。よろしくお願いします。

9月9日

さくらこ様、お便りありがとうございます。直接にメールを送ることはしていませんので、コメント欄でご回答させていただきます。
日本の歴史12 幕末・維新 研秀出版 昭和48年刊
188~191頁 「幕末遊侠伝」今川徳三
本書は古いので所蔵する図書館は案外と少ないのではないでしょうか。関西にお住まいならば宝塚・阪急逆瀬川駅「女性の書斎ひとり好き」で閲覧できます。男性は土曜・日曜は入館できますので、ご利用ください。

ケペル様

お返事ありがとうございました。
いつか是非そちらへ遊びに行ってみたいと思います!

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