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2012年8月28日 (火)

ビルマの竪琴

Photo_3     ビルマ(ミャンマー軍事政権)といえば、竹山道雄(1904-1984)の「ビルマの竪琴」という児童文学を思い出す人が少なくないだろう。この名作は二度の映画化などで今日でも若い人が御覧になっているようだが、かなり批判的な内容が目につく。加害者責任を直視していない、戦争を感傷的にとらえ、軍国主義への反省はするが、侵略や戦争犯罪のことは忘れて、日本人の死者への鎮魂だけにとどまっている、つまり反戦文学としてなまぬるいという批判である。また昔に梅棹忠夫が指摘したことで有名であるが、要約すれば「ビルマでは長年修業を積んで僧になるので、水島上等兵は簡単に坊さんにはなれない、また戒律は厳しく歌舞音曲にたずさわることはできない、竪琴はもちろん歌うことはしない。ビルマは経済的には遅れているが、文化的には高度な文明国である。」はたしてこれらの今日的批判は正当なものであろうか。

    物語の設定上には相当の無理があるものの、文学としてみると、ケペルはやはり竹山道雄「ビルマの竪琴」は不朽の名作であると考えている。

   竹山道雄の「ビルマの竪琴ができるまで」によると、昭和21年に雑誌「赤とんぼ」の編集長・藤田圭雄に、何か児童向きの読物を書いて欲しいと頼まれた。藤田も竹山とは同じドイツ文学出身である。

    竹山は次のような空想が頭に浮んだ。

「モデルはないけれども、示唆になった話はありました。一人の若い音楽の先生がいて、その人が率いていた隊では、隊員が心服して、弾がとんでくる中で行進するときには、兵たちが弾のとんでくる側に立って歩いて、隊長の身をかばった。いくら叱ってもやめなかった。そして、その隊が帰ってきたときには、みな元気がよかったので、出迎えた人たちが、君たちは何を食べていたのだ、とたずねた。鎌倉の女学校で音楽会があったときに、その先生がピアノのわきに座って、譜をめくる役をしていました。「あれが、その隊長さん」とおしえられて、私はひそかにふかい敬意を表しました。

    これがビルマの竪琴の原型モチーフであるという。作品とはかなり異なるであろう。一説には、戦死した教え子の中村徳郎をモデルにしたとも伝えられる。

    竹山は最初、舞台を中国の奥地にするつもりであった。ここで日本兵が合唱をしていると、敵兵もつられて合唱をはじめ、ついに戦いはなくなった、という筋を考えた。ところが、日本人と中国人とでは共通の歌がない。日本でもよく知られ外国人も知っている歌といえば、「庭の千草」や「埴生の宿」や「蛍の光」などである。そうすると相手はイギリス兵。場所はビルマのほかにはない。だが、竹山はビルマに一度も行ったこともない。竪琴はビルマで「サウン・ガウ」と呼ばれる絹弦を張ったもので本来は古代インドで「ヴィーナ」といわれた楽器。昭和21年当時、満足なビルマの資料などほとんどなかっただろう。空想によるファンタジーという部分が多い。戦争をテーマにした作品だけにノンフィションと思われる人も多いだろうが、ドイツ文学者の竹山「ビルマの竪琴」はファンタジー童話なのである。そして国境を越えた人類愛を歌った作品として稀有な成功をおさめている。最近、映画「ビルマの竪琴」をミャンマーの人が観てどう思うか(2時間以上の作品をわずか25分にカットして調査している)ということから原作の竹山「ビルマの竪琴」にまで批判が発展するのを知り奇異に感ずる。戦後すぐに書かれた作品には、まだ戦争が実体験として読者も観客もあったので、この原作も日活映画「ビルマの竪琴」も広く日本人の心の中に共感をもって迎えられたと思う。また竹山道雄の評論家としてのその後の政治的思想や活動は詳しく知らないが、この作品そのものは独立性をもっており、その価値は少しも損なわれていないと思う。(Saun-Gau)

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コメント

竹山道雄の伝記が出版されているでしょうか? もし未刊ならば、できれば彼の伝記を近い将来、執筆してみたいと思うのですが、(英文や和文のWikipedia 情報以外で) 何か良い参考書はありませんか? 情報収集の元になる彼の遺族 (特に、娘や息子)がまだ存命でしょうか? 私の亡父 (1906-1989) が京大独文出身で、同世代の自由主義者だったので、特に興味があります。 どうぞ宜しくお願いします!

「竹山道雄著作集全8巻」(福武書店)がでていますが、自伝はないかもしれません。昭和34年に日本文化フォーラムの運動に共鳴する人々が雑誌「自由」を刊行したが、竹山はその中心的存在だった。(「自由」は「諸君」「正論」の母胎となる)世界的視野のある竹山の評論は今日的にも高く評価されるべきであり、ぜひ伝記を書いてください。

ケペル先生:

彼の著作集を読めば、彼の思想の全体像がつかめるかもしれませんね。ありがとうございました! amazon.co.jp から古本8巻を入手するか、一時帰京の折に日比谷図書館などで閲覧してみましょう。

「ローリング判事への手紙 」
竹山道雄 『新潮』昭和24年8月号所載 1949/08

東京(戦犯)裁判をめぐって、竹山氏が(少数意見を表明した)オランダのバーナード・ローリング判事に宛てた手紙の内容が1949年に「新潮」に掲載されているそうです。この手紙は、著作集の何巻に収録されていますか? 恐れ入りますが、そちらの図書館で調べて頂けないでしょうか? 

この手紙には、日本政府や日本軍の戦争責任に関する彼自身の見解、及び戦争中に彼個人が一高教師として果たすべくして、果たさなかった責任について、ふれてあるはずです。

お調べの論稿「ローリング判事への手紙」が著作集に所収されているかどうか、自館では未所蔵のため確認できませんでした。大図書館の蔵書検索で内容一覧をみますと第1巻「昭和の精神史」「妄想とその犠牲」「独逸新しき中世」「若い世代」「ハイド氏の裁判」です。とくに「昭和の精神史」は雑誌「心」に昭和30年連載されたものを昭和31年に刊行したもので、昭和33年には新潮文庫、講談社学術文庫にもあります。そこにはオランダ判事ローリングが後年「東京裁判は誤りだった」と竹山道雄に語った記述があるそうです。

 はじめまして、映画ブログの晴雨堂です。

 私も「ビルマの竪琴」執筆の経緯は存じています。批判は批判として、童話としての完成度は好意的に評価している者です。
 
 ただ、三國連太郎隊長版は良かったのですが、石坂浩二隊長版はどうしても一連の批判を支持せざるを得ません。

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