中野重治忌
1979年のこの日、中野重治は胆嚢癌のため東京女子医大付属病院で死去。77歳。福井県坂井郡高椋村一本田の出身である中野は、大正13年、東京帝国大学文学部ドイツ文学科に入学する。以来、東京での生活が続いた。39歳の中野は世田谷の豪徳寺の近くに住んでいたが、幼い娘を連れて松陰神社をしばしば訪れて礼拝している。「卯女手をうって礼拝す。吉田寅次郎の墓を拝み感動す。ぼた餅をつくる。午後ぼた餅のお客。また一同にて松陰神社に行く。ぼた餅うまし」と「敗戦前日記」の昭和16年9月23日に記している。プロレタリア文学運動の代表的理論家として知られる中野重治と幕末の勤皇志士・吉田松陰との関係を不思議に思うかもしれない。「日本は侵略国家か」という議論において、近代日本のアジア進出の思想的淵源を吉田松陰に求めることは無理なことではない。だが、吉田松陰を尊敬する人はいても、悪しざまに言う人はいない。至誠をもって一生を貫き通した人生に感銘をおぼえるのである。つまり中野重治はレーニンやトロッキーを革命家として尊敬するように、吉田松陰を時代を変革する志ある人として尊敬していたのではないか。墓碑は福井県一本田の生家跡の田圃の墓地にあり、自然石正面には、原泉の筆で「中野累代墓」と刻まれている。
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