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2012年8月15日 (水)

サルトルとニヒリズム

Sartre    ジャン・ポール・サルトル(1905-1980)によれば、人間存在はいかなる種類の助けもなしに見捨てられている。人間は何ものによっても支えられていない。既存の本質秩序、価値秩序によっても、神によっても、生の意味によつても支えられていない。人間は、しかし、自由であるがゆえに、自分の本質、自分の価値を自分で決定し、自分で作ることができる。自由は人間をして「存在する代わりに、自己を作る」(se faire,au lieu d'etre)ように(L'etre et le neant,「存在と無」),自己自身を未来へ企投するように強いる。しかし、もし神が存在するとしたらこの自由な企投は不可能になるから、神は自由によって排除される。この自由は一方において人間の尊厳をなすが、他方「彼の存在の無」(son neant d'etre)であり、「人間の核心において存在されるところの無」(le neant qui est au coeur de l'homme)である。「あらゆる人間存在は、彼が、存在を根拠づけるために、また同時に、それ自身の根拠であることによって偶然性から脱れ出ているような即自すなわち宗教では神と名づけられている自己原因者を、構成するために、あえて自己を失うことを企てるという点で、一つの受難である。それゆえ、人間の受難は、キリストの受難と逆である。なぜなら、人間は神を生まれさせるために、人間としてのかぎりでは自己を失うからである。けれども、神の観念は矛盾している。われわれはむなしく自己を失う。人間は一つの無益な受難である。人間の生存の無意味が特に死において顕わになる。(Jean Paul Sartre,Nihilism)

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