板垣退助と自由党
板垣退助は土佐藩出身で、幕末討幕運動に参加し、新政府の参議となる。征韓論に敗れ、自由民権運動の中心となり1881年、自由党を結成する。近代の政党は全部でいくつあるのは知らないが相当数になる。自由党を基本に追っていくと、立憲自由党、憲政党、立憲政友会、憲政会、立憲民政党、政友会、日本自由党、民主自由党、自由党、日本民主党、自由民主党、新生党、新進党、自由党、民主党、そして国民の生活が第一。新党名については賛否ある。宇多田ヒカルがツィッターで「ついに政党の名前にもキラキラネームきたか・・・。こうなると「くまちゃんの肌触りは世界一」党の結成も夢ではないな」と諷刺している。板垣退助も名前にはこだわらない人物だった。もともとは乾退助だった。幕末、甲府鎮撫隊と戦ったとき改姓した。武田24将のひとり板垣駿河守信形から板垣姓を採った。つまり民心を和らげるため、改姓したのだ。「国民の生活が第一」の政治感覚は民心にはどのようにひびいたのだろうか。
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