ゼロ戦の日
1939年のこの日、ゼロ戦の試作機の試験飛行が実施された。ゼロ戦といえば貝塚ひろし「ゼロ戦レッド」を思い出す。調べるとなんと昭和36年から41年まで6年間にわたって「冒険王」に連載されていた。もちろん購入するお金はなく、森市場のエスペローという新刊書店で、新刊雑誌を一夜貸し10円で読んでいた。だがほとんど零戦の詳細な知識はもたなかった。大人になって出張で群馬県太田市の「中島記念図書館」にいくことがあった。そこで中島飛行機の創立者である中島知久平(1884-1949)のことを初めて知った。零戦の設計・制作は三菱重工で堀越二郎技師であるが、飛行機の心臓と言われるエンジンは中島飛行機製作の「栄」である。陸軍の主力戦闘機「隼」のエンジンも製作している。
ゼロ戦の正式名称は「零式艦上戦闘機」。零戦は戦時中10,430機生産されたが、これは日本一の生産数で、隼の2倍近い数字であった。9501-Pエンジン1基、最大時速533.4㎞。零戦は操縦性に優れ、日中戦争から太平洋戦争初期にかけて、向かうところ敵なしの活躍をした。中島知久平は、明治17年1月1日、群馬県新田郡尾島村に生まれた。明治33年、上京し、明治36年10月、海軍機関学校に入学した。日露戦争後、海軍内で幅をきかせる砲術科に対し、機関科出身の中島は「戦艦よりも圧倒的に安くできる飛行機を大量に作って、戦艦を攻撃・撃沈すること」を力説した。そして大正6年末には、わが国最初の民間飛行機製作所(中島飛行機の前身)を創設した。中島飛行機はその後戦争拡大とともに軍用機生産で社業を拡張し、戦時中は関連機会工業を傘下に収める一大コンツェルンを形成、飛行機の3割近くを独占生産する大企業に成長して敗戦直前には一時国営に転換された。
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ケペル先生、こんにちは!はじめまして。ごろ寝と申します。
私は昭和29年生まれ、懐かしいもの満載の先生のブログによくおじゃまして楽しませていただいています。
子供の頃、自分は「冒険王」、仲良しは「少年」を購入し、毎月取りかえっこして読んだものです。
単式戦闘機のかっこよさにアコガレており、「ゼロ戦レッド」大好きでしたので、ついコメントしたくなりました。もっと後年の「あかつき戦闘隊」にも心酔してました。
投稿: ごろ寝の人 | 2008年11月13日 (木) 12時29分