ふれあい
むかしの広辞苑には「ふれあい」という言葉は載っていない。「ふれる」と「あう」という動詞が複合した名詞形が「ふれあい」である。つまり「助け合い」「語り合い」「見つめあい」「いたわりあい」と同類なので、載っていないのが当たり前である。それが1998年の第5版には「ふれあう」も「ふれあい」も出ている。理由はわからないが、「人と人とのふれあい」とか「名画とのふれあい」という言い方をする人が増えてきたからだろう。広辞苑には「ちょっとした交流」と説明している。役所の人が好きな言葉らしく公民館や介護施設、キャンプ場などによく使われる。尾道ふれあいの里、滝川ふれあいの里、美濃白川クオーレふれあいの里。だが何か「ふれあい」とはつかみどころのない空虚な感じがする。「学研現代新国語辞典」には「たがいにわかりあったような気持ちになる」と説明している。ある人が「きずな」「いやし」「ふれあい」など嫌いな言葉だといっていた。だがあいまいな言葉ほど多くの人から好まれるから不思議だ。
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