失恋小説
「自分は女に、飢えている。この餓えを自分は、ある美しい娘が十二分に癒してくれるものと、信じて疑わない。実はいまだに口をきいたことすらなく、この1年近くは姿を目にしていない」武者小路実篤(1885-1976)の「お目出度き人」の書き出し。同じ頃、慶應大学生の佐藤春夫(1892-1964)は犬吠崎へ行き、「犬吠岬旅情のうた」を残している。この詩は失恋の痛手が込められているというが、春夫の相手が誰であるかわからない。尾竹ふくみ(安宅ふくみ)を知り、不眠症になるのはそれから1年後のことである。ともかく明治末期から大正初期の青年層は、小説であれ詩歌であれ、失恋を題材に感傷的な文学を希求していたようである。
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