チャイコフスキーとトルストイとの出会い
チャイコフスキー(1840-1893)は幼い頃から読書好きで、とくにロシア文学を好んだが実際に出会って話をしたのはトルストイ(1828-1910)とチェーホフ(1860-1904)であった。1876年12月の中頃、ニコライ・ルビンシティンはトルストイに請われて、モスクワの音楽院で夜会が催された。「アンダンテ・カンタービレ」が演奏されたとき、トルストイは涙を流して感動した。このことをチャイコフスキーは妹アレクサンドラへの手紙に「私があの方の興味をひいているかと思うと、ひどく良い気持ちだし、誇らしく思う」(1876年12月23日付け)と書いて送り、後年の日記にも「あの時ほど、喜びと感動をもって作曲家としての誇りを抱いたことは、私の生涯に2度と無いであろう」と記している。(Tchikovsky,Tolstoy,Chekhov,Ahdante Cantabile)
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