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1274年10月5日、元・高麗約3万の軍勢は、対馬・壱岐を侵入し、博多湾岸に上陸、10月20日、鎌倉幕府執権北条時宗(1251-1284)と合戦に及んだが、暴風雨のためもあり、翌21日には退却した。1281年6~7月、東路軍約4万と江南軍約10万が再来寇。しかし、博多湾岸への上陸もできないまま、台風で大損害を受けて撤退した。クビライ(1215-1294)は1287年三度目の日本侵攻を考えていたが、その死により、結局、断念された。時宗は国難の心労から病に伏すことが多くなり、1284年4月4日、34歳で病死した。死因は結核とも心臓病ともいわれる。
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