アナウ彩文土器文化
カスピ海東方480㎞、トルクメニスタン南部のアシガバッド東12㎞付近に北丘、南丘、アナウ・テペ(19世紀に廃棄)の3遺跡からなるアナウ遺跡は彩文土器文化の先史遺跡で知られる。1903年から04年アメリカの地質学者パンペリーはカーネギー財団の援助によりロシア領トルキスタンに学術調査をおこなったが、この際ドイツの考古学者フーバート・シュミット(1864-1933)によってアナウ遺跡の発掘調査がされた。のちスウェーデンの地質学者ヨハン・グンナー・アンダースン(1874-1960)が1923年から24年、甘粛省寧定県半山で仰韶文化を発掘報告したが、彩文土器の類似性から西から東へ彩文文化が広がったとする西方伝来説が流行した。しかし近年の学者たちは彩陶の西アジア起源説には批判的である。彩陶は農耕社会のものであり、いかなる移住民もこのような彩陶土器を動物の背中にのせて持ち運ぶことはなかっただろう。つまり西アジアにおいても、中国においても、新石器農耕文化のある段階には彩色土器があらわれるという共通する意識形態が存在するという興味ある結果が明らかとなりつつある。
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