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花山天皇(968-1008)は寵愛していた女御藤原忯子(きし)死別とともに出家を考えるようになった。986年6月23日の明け方、天皇は藤原道兼の勧めに従って内裏を出て山科の元慶寺に向かった。懐仁親王は一条天皇として即位し、道兼の父兼家は摂政に就任した。花山天皇の退位・出家及びそれに伴う政変を寛和の変という。
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