後白河と藤原信頼との男色関係
平治の乱の首謀者、藤原信頼は「文にもあらず、武にもあらず、能もなく、芸もなし」と平家物語で散々にこき下ろされ、「体格は肥満で色白、衆道(男色)を好む」「後白河に愛され、あさましき程に御寵愛ありけり」と愚管抄にみえる。この寵愛とは男色関係に基づくものである。信頼と後白河の関係は、保元2年ころから深まったのであろう。この年に近衛中将になっている。近衛は男色関係を強く求められた官職であり、この任官はめざましい信頼の出世を意味している。信西は「長恨歌」を藤原師光に渡して後白河に見せた。唐の玄宗皇帝が楊貴妃にのめり込んで国を滅ぼした話であり、暗に後白河の軽挙を誡めたのであるが、帝は信西の真意に全く気づかなかったとある。
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