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2012年6月18日 (月)

難波大助の生と死

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   津田三蔵、安重根、難波大助、佐郷屋留雄・・・・戦前の暗殺史で、日本人が最もその名を知るのは安重根だろう。難波大助などは手元の日本史辞典にも名前すらない。NHKの歴史番組でもほとんど紹介されることはないだろう。やはり虎ノ門事件はいわゆる「未曾有の不詳事件」語ることすら憚られるタブーの日本史なのか。

    難波大助(1899-1924)は衆議院議員・難波作之進の四男。難波は幸徳秋水を深く尊敬していた。そうして秋水を処刑にしたものに対して憤激と憎悪を強める一方、労働運動の無力を批判してテロリストの道を選ぶにいたり、摂政宮裕仁を暗殺せんとした。1923年12月27日、摂政宮を虎ノ門付近で狙撃したが弾はガラス窓を打ち抜いて天蓋に達し、車内にガラスの破片が散乱したが、摂政宮に命中することはなかった。難波はその場で逮捕され、翌年11月13日、大逆罪で死刑判決、2日後の15日に刑死となった。執行が判決の2日後というのは異常な早さである。32年前の大津事件では、大審院はロシア皇太子を普通人に対する謀殺未遂として、津田三蔵を無期徒刑にした。これは司法権の独立として高く評価されたが、難波の死刑(大逆罪)については目を向けることはほとんどないように思える。ウィキペディアに無期懲役から死刑に変わった経過が記述されている。大助の父はその後、閉門蟄居して餓死したという。

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