19世紀末パリの都市計画
パリの歴史は、紀元前3世紀にケルト系のパリシイ人が、セーヌ川に浮かぶシテ島に住みついたことに始まる。紀元前52年ごろ、ガリア遠征中のカエサル率いるローマ軍がこの地を攻略した後、ルチチィア・パリシオルムと呼ばれるようになった。この地は河川交通の要衝として栄え、シテ島とセーヌ左岸を中心に、ヨーロッパ風の都市が形成されていった。歴史とともにパリは政治の中心地として発展してきたが、長い歴史を経て、19世紀も末に近い1870年には人口200万の大都市となった。ナポレオン3世の命を受けたセーヌ県知事ジョルジュ・オスマン(1809-1891)は、パリの大規模な改造計画を推進、工事は1852年に始まり、これによって清潔で明るいパリが生まれた。グラン・プールヴァール(大通り)に面してはカフェ、画廊、劇場、ブティック、百貨店もでき、人々はにぎやかに行き来し、乗合馬車も走った。シャンゼリゼ大通りから遠く凱旋門の立つエトワール広場まで見渡すことのできる光景は、オスマンのパリ改造計画によって誕生したものである。パリは世界中の都市計画のモデルにもなった。
また数度にわたって開催された万国博覧会は、パリを名実ともに「花の都」と呼ばれるにふさわしいヨーロッパの都へと成長させた。1889年に完成したエッフェル塔はその象徴である。また1900年の万博時には地下鉄(メトロ)も開通して、パリの主要な交通機関となった。こうして世界の芸術家がパリに集まり、絵画や映画など新しい文化を発信した。(Gerges Eugene Haussmann)
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