アハモセ1世とヒクソス
「エジプト誌」(アイギプティアカ)を著わしたマネトによると、ヒクソスのエジプト支配は第15、16、17王朝である。これら3王朝は同時代に成立している(前1650-前1550)。ヒクソスに関する史料は、その知名度に反して余り多く残されていないが、ヒクソス王アポフィスとの戦いに勝利したのはカーモセ(在位前1573-前1570)である。しかしカーモセは凱旋直後に亡くなる。ヒクソスの支配者たちをデルタ地方から追放し、エジプトを再統一したのはカーモセの弟、初代第18王朝のファラオ、アハモセ1世(在位前1550-前1525)である。第18王朝は前15世紀、トゥトメス3世のときエジプトの最盛期を形成した。近年、アハモセ1世のミイラを調査したところ、王は35歳くらいで亡くなったことを示す結果が得られた。王墓の位置はいまだ確定しないが、テーベ西岸ドゥラ・アブ・エル・ナーガ付近と推定される。( Kamose,Ahmose,Apophis,Hyksos,Thutmes,Aegyptiaca )
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