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2012年5月31日 (木)

頼長の男色癖

B0232447_2317315   日本で男色が普及するのは、平安末期からである。保元の乱の首謀者、藤原頼長(1120-1156)の日記「台記」には、さまざまな男たちとの行為が赤裸々に記録されている。寵愛をうけた秦公春は頼長の意のままに暗殺まで実行したが、病で亡くなった。頼長は悲しみのあまり3ヵ月も仕事をしなかったという。

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