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2012年5月10日 (木)

専行院と張禧嬪

000117179  下総国中山の智泉院(千葉県市川市中山)の僧日啓の娘、お美代は第11代将軍家斉の側室となり、智泉院は隆盛した。天保7年には雑司ヶ谷に感応寺を造営する。奥女中たちが僧と寺で淫行が行われる。しかし天保12年、家斉が没すると、老中水野忠邦が調査し、日啓と日尚の悪事が判明した。お美代は専行院と称し追放されたとも、長く江戸城内に留まったともいわれる。智泉院事件を公開すれば幕府の威信に傷がつくため、お美代へのお咎めはなかった。「大奥の女帝」として長く君臨したお美代は明治5年に没しているが、80歳は超えていたと思われる。朝鮮王朝でいえば張禧嬪(チャンヒビン)(1659-1701)に比肩できる悪女。

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