幸若舞「敦盛」
司馬遼太郎は織田信長が桶狭間への出陣する際の様子を次のように記している。「信長は先ず陣貝を吹かせ甲冑をつけ、立ったままに湯漬を喫し、謡曲敦盛の一節をかつ謡いかつ舞ったのは有名である」(濃尾参州記)「人間五十年、化天の間を比べれば、夢幻の如くなり」という一節は謡曲にはなく、幸若舞「敦盛」にでてくる。つまり信長が出陣に際して舞ったのは幸若舞である。
ところで平敦盛といえば神戸須磨寺の「青葉の笛」が有名である。実は平家物語には「小枝の笛」とあり、「青葉の笛」の名は見えず、室町時代の世阿弥の謡曲「敦盛」が最初である。幸若舞「敦盛」には「漢竹の篳篥」とある。江戸時代の「兵庫須磨名所記」に紹介され、須磨寺の勧進に「青葉の笛」が展観されるようになって全国に広まった。本物の敦盛の笛は現存せず、須磨寺の敦盛の笛は模倣品である。
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