信玄と人身売買
武田信玄(1521-1573)の「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」という歌は古来よく人口に膾炙され、信玄の仁政の姿勢があらわされている。しかし、信玄こそ本当は戦国一の非道の典型ともいわれている。父の信虎を追放し甲斐国を簒奪したこと、わが子義信を謀殺したこと、そして虐殺と奴隷狩りである。とくに1547年8月、信濃志賀城を攻略したとき、生捕りにした多数の男女を甲斐に連行して、奴隷市を開催して売り飛ばした。江戸時代の書物「勝山記」は、信玄に対してはかなり好意的な記述が多いが、それでも志賀城攻略戦だけは悪評である。「信玄は七書にひいで四書にもれ」とは兵法は得意だが、倫理道徳に劣ることをさしているのであろう。JR甲府駅前の武田信玄公銅像。像の原型は彫刻家の宮地寅彦、製作は盛岡勇夫・公彦(立体写真像株式会社)、1969年に完成した。
« エルノー・ルービック | トップページ | パトリ・ゲーム »
「日本史」カテゴリの記事
- 河越城の戦い(1546年)(2024.04.20)
- かえり船(2024.03.23)
- 鍋島騒動(2024.03.20)
- 勘解由使(2024.01.14)
- 藤原兼家(2024.01.12)
コメント