山崎直方
歴史学に比べて地理学、地誌という学問は、地震大国日本にとって重要であるにも関わらず、一般に注目されることが少なく地味な学問である。明治からの代表的な地理学者の名前をあげてみてみようにも、その名前がでてこない。おそらく東の山崎直方、西の小川琢治か。小川は湯川秀樹の父として著名である。日本地理学会の初代会長であった山崎直方(1870-1929)は一般的に有名とはいえまい。佐藤伝蔵との共著になる「大日本地誌」10巻は、日本最初の地誌叢書である。ハンティントンの「文明と気候」の巻末に掲げる「文明地図寄稿者一覧」に3人の日本人の名がある。新渡戸稲造と原勝郎と山崎直方である。山崎はハンティントンの日本への紹介を積極的にした。「陸羽地震調査概報」震災予防調査会報告11 1896年、などその業績は膨大で詳細である。陸羽地震(M7.2)は明治29年8月31日、秋田県と岩手県との県境にある真昼山地の直下で発生した東北地方最大の内陸直下型地震である。同年6月15日に起きた明治三陸地震(M8.5)の2ヵ月半後の発生した。いま山崎直方の再評価をすべきである。
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