アンジェー城とルイ9世
パリの南西を流れるロワール川の中流域アンジュー地方はローマ時代にはユーリオマガスと呼ばれていたが、3世紀の終わりから城塞都市として発達、9世紀後半にアンジュー公フルク1世が支配した。12世紀初めにアンジュー公とノルマンディ公とを兼ねたジョフロア4世・プランタジネットが、イングランド王ヘンリ1世の娘マチルダと結婚した。だが、その子息がイングランド国王に迎えられてヘンリ2世となり、父親の没後、所領のノルマンディと共にアンジュー地方までを伝領したので、フランスの内陸部にまでイングランド領が現れることとなり、領地問題は大変複雑となった。リチャードとジョンがイングランド王になると、フランス王フィリップ2世は失地回復の闘争を起こし、1204年から1206年の間にアンジューをはじめノルマンディなどの領地を奪回した。ルイ9世は1232年ころアンジェー城を堅固な城郭とした。ルイの治世(在位1226-1270)はカペー朝を通じて最も栄光に満ちたものであり、パリをヨーロッパにおける文化の中心としたのも同王である。
( keyword;Chateau de Angers,Juliomagus,Foulque,LouisⅨ )
« 大河ドラマ「平清盛」絶対絶命 | トップページ | 臨時休業 »
「世界史」カテゴリの記事
- 李氏朝鮮はなぜ元号がなかったのか?(2023.05.24)
- ハインリヒ5世(2023.05.23)
- 劉裕と陶淵明(2023.05.22)
- ポーランドの英雄ヤン・ソビエスキ、国王に即位する(2023.05.21)
- ゴンブルサ事件(2023.02.18)
コメント