藤原頼長墓副碑
藤原頼長(1120-1156)は、崇徳上皇・源為義らと結び保元の乱を起こして敗死した。現在、相国寺(京都市上京区)にある墓はもともと左京区東竹屋町の京都大学熊野寮の地にあり桜塚と称された。明治40年に相国寺に移され、その由来を記す副碑も建てられた。
頼長は大河ドラマ「平清盛」では山本耕史が演じている。たいへん学問に優れ牛車の中にまで書物を備えたり、船で雷雨に遭っても平然と読書をしていたという。時間に厳しく、遅刻者は容赦なく罰した。犯罪が減刑される慣例を嫌い、綱紀粛正に努めた、やがて貴族たちに嫌われ、近衛天皇にも疎まれ、鳥羽上皇の寵臣藤原家成の邸宅を襲撃して上皇の信任も失った、崇徳上皇と結んで保元の乱を起こす。後白河方の夜襲を受け、流れ矢に当って瀕死の負傷を負う。宇治まで逃れたもの、父・忠実に対面を許されず、失意の中で死んだ。享年37歳。
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