劉生と実篤との出会い
岸田劉生は画家としての出発の当初、「白樺」の大きな影響を受けていることはあまりに有名である。特に、武者小路実篤の感化は大きく、実篤とその精神を共有すると言われたほど劉生の、少なくとも鵠沼時代まで(関東大震災まで)の思想・生活を支配した。ちなみに志賀直哉とはかくべつ親密にならなかったようである。(左画像は劉生25歳)
劉生は明治24年生まれで、実篤は明治17年生まれ。劉生は「白樺」を創刊から読んでいたであろうが、「無車」という名で書かれた「六号雑記」にひかれて、その強い、自分をまげないところが感心させられた。「無車」とはもちろん武者小路実篤の雅号で、劉生は実篤に畏敬の念をいだいていたのである。友人の清宮彬、岡本帰一を通じて柳宗悦を知り合った。劉生が実篤と出会ったのは、明治44年12月、柳宗悦宅であった。しかし最近の研究では、明治44年12月25日から28日に劉生が実篤の自宅を訪れているとされる。(福島さとみ「武者小路実篤との友情」別冊太陽)劉生は実篤に連れられてロダンのブロンズを見ている。
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