森鴎外と高木兼寛の脚気論争
森鴎外(1862-1922)が東京大学医学部を卒業し、陸軍省の軍医となったことはよく知られている。ドイツ留学では衛生学を専攻し、日露戦争には軍医部長として従軍した。医学でも研究目標の一つは脚気だった。当時、日本人は白米をはじめ、低たんぱく・低脂肪食をとる者が多く、脚気による死亡率が高かった。政府・陸海軍当局は脚気の原因・療法の調査をすすめていた。海軍軍医総監の高木兼寛(1849-1920)は海軍の遠洋航海訓練中の食事改善で脚気の予防に栄養が摂りやすいカレーライス(海軍カレー)を出したところ、脚気の発生率は急激に減少した。しかし高木は脚気予防を医学的には説明できなかった。陸軍でも森鴎外らが研究調査し、ドイツ医学により細菌が原因であるとし、高木を批判した。この脚気論争は陸海軍の主張が対立したが、後年ビタミンが発見され、脚気がビタミン1の欠乏による疾患であることが判明し、高木の疫学的研究の正しさが証明された。
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コメント
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前年遠洋演習航海中の海軍水兵の脚気罹患の原因が米食にあると確信した高木は翌明治17年麦飯を主食に切り替えることを考えたが水兵たちが受け入れることは難しいと判断し、白米と麦の混合食にすることに方針転換して実施した。海軍でカレーライスが供される初めは明治22年以降ではないか。自信はないが。
投稿: 小金井良精 | 2023年3月21日 (火) 21時56分