地図は空間を表現する言語といえる。地図が先か、文字が先か。地図が描かれて実用に供されたのは、文字が考えだされたよりも以前だと考えられている。太平洋のマーシャル諸島の島々を描いた海図では、文字よりも先に、海図が人々の生活に必要だった。
マーシャル諸島のスティックチャートは、ヤシの小枝を組み合わせた枠の上に貝殻を貼りつけて島々の位置を示し、さらに海上の波頭の向きを、同じくヤシの小枝を用いて表している。
現存する世界最古の地図は紀元前600年ころの古代バビロニアの粘土板に描かれた地図である。
粘土版に楔形文字とともに円と直線を組み合わせた簡単な地図が表されている。首都バビロンを中心とする円形の陸地が海に取り囲まれている。ユーフラテス川も描かれている。現在ハーバード大学に所蔵されている。
2世紀の学者プトレマイオスの地図は、その範囲を当時人間が住んでいたと考えられていた地域、すなわちエクネメを表している。
その範囲は西はイベリア半島から、東はインドを越えて東南アジアに及び、北はそのころ伝説的に知られていた幻の町チューレ(Thule)から、南は赤道を越えてナイル川の水源地域に及んでいる。赤道より南のアフリカの形がでたらめであること、セイロン島(タブロバナ)が異常に大きいこと、インド半島がわずかしかインド洋に突出していないことなど、不正確な点が少なくない。しかし、当時の学問水準を考えると、むしろ驚くべきことである。
中世になると、聖書をよりどころとする地図が作られた。アルファベットのOの字の中にTの字をはめこんだ基本的な形をしているのでTO地図といわれている。
ヨーロッパとアジアとがタナイスで分けられている。中世も末になると、長方形その他のものも現れてくる。しかし、それらは単に体裁をかえただけで、世界観にはなんらの変化も見られなかった。
ヨーロッパがこのような暗黒時代を経過していたころ、イスラームの世界では、ギリシアの学問の伝統が滅びずに受け継がれ、その学校教育では地図帳が用いられてきた。アラビアの皇子イドリシ(1099-1166)が1154年に描いた地図はその代表的なものである。
イスラームの地図は、図の上部が南で、下部が北になっているので、天地をさかさまにして載せておく。
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