古代丹後王国と邪馬台国
近畿地方の北部、丹後地方は朝鮮半島・大陸との交流の玄関口で、弥生時代中期から後期、交易の中心地として繁栄していたことが近年の考古学の発掘調査によって明らかになりつつある。
日吉ヶ丘遺跡(京都府加悦町)から管玉群が出土し政治権力者の出現と考えられる。方形貼石墓と呼ばれるもので、同時期の墳墓としては佐賀の吉野ヶ里遺跡につぐ規模の大きさである。また京都府弥栄町と峰山町との境に位置する太田南古墳群(太田南5号墳)から青龍3年銘方格規矩四神鏡が出土している。卑弥呼が魏に遣使した景初3年の4年前にあたり、日本でも最も古い年号を持つ年号鏡である。大風呂遺跡群(岩滝町)からガラス製の腕輪「釧」(しくろ)が出土している。
中央政府である大和と丹後との交易ルートは、大阪湾から加古川流域に入り遡上し、由良川流域に至る「由良川・加古川ルート」(佐原真「日本の古代5」1970)が有力視されている。(参考:二上山博物館「邪馬台国時代の丹波・丹後・但馬と大和」)
« スプラッシュ | トップページ | 人はどれほど長生きできますか »
「日本史」カテゴリの記事
- 南山一揆(2026.04.16)
- ゴーストップ事件(2026.01.13)
- 服部正就の改易(2025.12.02)
- 消えた名刀「阿蘇の蛍丸」(2025.11.24)
- 鼻毛のお手入れは入念に(2025.10.23)



コメント