松尾芭蕉は忍者だった!?
松尾芭蕉。俳諧師は仮の姿で実は全国各地をめぐり情報収集を役目とする忍びだった。次のような根拠からである。①芭蕉の出自は伊賀、服部郷松尾の土豪が祖先。桃青といわれる俳号は母方の伊予宇和島の桃地姓から採ったようで、桃地は百地一族のことである。つまり伊賀忍者と深くつながっていた。②芭蕉一族は連歌に秀でた家系で、連歌師は社会の様々な階級の人間と接触するため情報収集にも巧みであった③1日に12里を歩くほど常識では考えられないほど健脚であった④芭蕉が旅をした先はほとんどが外様大名の領地であり、探索の必要があった場所である。また長旅には膨大な金銭が必要であるが、情報収集の報酬として幕府から資金がでていたと考えられる。
これらの状況証拠から、芭蕉は幕府の隠密、あるいは忍者であったと考えられる。
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