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2012年3月14日 (水)

逃げ逃げ家康天下を取る

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徳川家康公の像(静岡市駿府城本丸跡)

   駿府城は駿河守護職今川範政(1364-1433)が応永11年(1404年)、この地に館を構えたのが始まりとされる。その後、今川氏の本拠として繁栄し、駿府は「東の京都」と称された。今川義元敗死により、当主氏真は駿府を捨て掛川城に逃亡する。天正10年に武田勢を追放した徳川家康(1542-1616)は、同13年夏、家臣の松平家忠に命じ駿府城の大改築を命じる。その後、家康の関東入府により中村氏・内藤氏が城主となるが、慶長12年(1607年)7月、家康は秀忠に将軍職を譲り、駿府に移る。元和2年4月17日、家康は駿府城で病没。

   駿府城は輪郭式で石垣を廻らせた三重の堀を持ち、本丸の北西には5層7階の天守を配置している。寛永12年(1635年)の火災により天守等ほとんどの建物が焼失し、櫓、門等の建物は再建されたが、天守は再建されなかった。明治時代によると、歩兵34連隊の誘致に伴い本丸堀は埋められ、三ノ丸は官庁や学校の公共用地となる。戦後、本丸、ニノ丸部分は駿府公園として整備され、巽櫓、東御門の復元もされ一般に公開されている。

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