咸臨丸と開揚丸
1984年、北海道更木岬沖で錆びた錨(全長約2m)が引き揚げられた。状況から推測して旧幕府軍艦「咸臨丸」の錨ではないかと騒動が持ち上がった。2006年になって東京大学の小川一男は檜山管内江差町が保管する「開揚丸」のアンカーチェーンの成分と比較分析した結果、この錨は咸臨丸のものと断定された。咸臨丸は明治維新後は運搬船として使用され、仙台藩の旧臣401名を小樽に移送する途中で難破したものであった。咸臨丸の船体そのものは今も海底に眠っている。開揚丸(2590t)は咸臨丸(625t)とは比べものにならないほど大きく、戊辰戦争当時、日本最強の軍艦であった。明治元年に江差沖で座礁し、現在も江差にその姿を見ることができる。
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