コンモドゥス帝暗殺
ローマ皇帝で暴君といえばネロとカリギュラの名前が挙げられる。だが最近は映画「グラディエーター」(2000年)のおかげで第17代皇帝コンモドゥスの残忍性も知られるようになった。いずれも浪費癖があり狂気じみた独裁者たちである。コンモドゥスはマルクス・アウレリウスの息子ながらとびきりの暗愚だった。愛妾マルキアと侍従エクレトゥスと近衛隊長のラエトゥスらによって192年、暗殺された。その様子をギボンは次のように書いている(ローマ帝国衰亡史)。
マルキアはある時彼が猛獣狩で疲れきった後で1杯の葡萄酒を彼に献げる機会を捉えた。コンモドゥスは寝所に退いた。しかし彼が毒と酔との効によって悶え苦しんでおる間に、角力を職業とする一人の頑強な青年が彼の寝室にはいって行って何の抵抗も受けずに彼を絞殺した。皇帝の死について市内はもとより、宮中でさえも些かの疑念を抱かない前に、彼の死体は宮中から運び出された。これが名君マルクスの子息の運命であった。そして一個人としての体力や能力においては、その君主と同等であるところの幾百万の人民を、人為的機能によって、13年のあいだ暴壓し続け怨恨の的となった暴君を滅落せしめることは、かほどに容易であった。
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