中世ヨーロッパの旅
クロアチアのドゥブロヴニクは中世の面影を色濃く残す美しい要塞都市で、世界遺産にも登録されている。7世紀初め、ギリシア南部の都市エピダウルスがスラブ人によって破壊されたとき、エピダウルスの住民が避難してきた。その後、ドゥブロヴニクはビザンツ帝国、都市国家ヴェネツィア、ハンガリー帝国、オスマントルコなどの諸国に次々と臣従しながらも、1806年にフランスに占領されるまで都市共和国として一定の独立を保ちつづけてきた。それを支えてきたのは、強力な艦隊と人々の自由(リベルタス)への確固とした意志、そして民主制度であった。
西洋中世関係文献
「西洋中世世界の成立」増田四郎
「ヨーロッパ世界の誕生」ピレンヌ
「西洋中世史」山中謙二
「西洋中世世界の崩壊」堀米庸三
「西洋中世の文化」大類伸
「中世文化史」ドーソン
「フランス文学の精神」佐藤輝夫
「中世の美術」吉川逸治
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