ブライアンの汚点
ウィリアム・ジェニングス・ブライアン(1860-1925)は最も人気ある政治家であったが、反進化論運動に加わったことが彼の汚点となった。1925年、テネシー州デイトンの高校教師スコープスは、生物の授業で進化論を生徒に教えたため、州法違法で逮捕された。アメリカ公民権連合(ACLU)は思想信仰表現の自由の侵害するものとして反進化論法に反発した。反進化論陣営は大物政治家ブライアンを投入した。ACLUはダロウに弁護を依頼した。だが判決はスコープスは有罪、100ドルの罰金刑となった。一般には、このモンキー裁判はダローがブライアンに神は実際に6日で世界を創造したわけでないと認めさせたことをもってダローの勝ちとされる。だが反進化論法が40年以上の間存続することとなり、モンキー裁判は痛み分けの結果で幕引きとなった。そして判決後まもなく、ブライアンが心臓発作で亡くなった。新聞には「田舎の聖人として殉教した」という、彼を揶揄する見出しが踊っていた。
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