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2012年2月21日 (火)

体育の四原則

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 施薬院解男体臓図 1798年

   体育の普及の手段としての内容は体操からスポーツを中心に移行し、近代スポーツは、オリンピック大会、アジア大会、ユニバーシアード大会、国体などの大きなスポーツ行事と、一般人の場合しリクレーションとしてのスポーツが急激に発達し、ややもすれば体育はむしろスポーツにおきかえられた感がある。ここにスポーツと体育の混同をきたした。医師や保健婦からも「あなたはスポーツはなにもしないのですか?」と聞かれる。「身体的な体操や運動は日常的にしていますが、競技としてのスポーツは何もしていません」というと、けげんな顔をされる。とくに日本の場合、明治の初期からフィジカル・トレーニングとしての体操と、競技としてのスポーツがほぼ同時に学校で取り入れられたため古くから混同されてきた。

  では体育とは何か。ここでは少しふるいが、アメリカにフィットネスの概念を導入した体育生理学者アーサー・スタインハウス(A.H.Steinhaus)の「体育の四原則」を紹介する。

1.人間尊重の原則

体育が教育であるためには人間尊重の原則を忘れてはならない。教育である手段では、特に身体的、精神的、道徳的のために相当のトレーニングを必要とする場合もあろうが、その手段としてはいろいろなスポーツが用いられる。しかし、それらスポーツ種目と人間が同価値のものではあり得ない。たとえば、コーチや学校を有名にするためそれを行なわせたとすれば、人間性は無視され教育の分野から除外される。

2.オーバー・ロードの原則

筋や呼吸循環機能は、現在能力をこえた、一般人が1日作業する強度をこえた負荷(刺激)を与えない限りそれ以上の発達はしない。

3.可逆性の原則

人間のからだはトレーニングを反復しなければ元に戻る。身体運動というストレスを長く与えると多くの組織器官はこれに対する適応力を与えられるが、これを中断して実行しなければ可逆的である。

4.integrationとintegrityの原則

全身の全機能を動員する能力、心身一体の行動をintegrationというが、この機能が社会から容認された理想に向かって、社会的因子、知的因子、情緒的因子が統合作用に権威と方向を与えるときintegrityである。体育はこの両面がなければならない。(参考文献:森脇勤「保健体育学概論」啓文社)

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