健康なとき駄作を書き、病床で傑作をものにした作家
「出家とその弟子」や「愛と認識との出発」などで知られる倉田百三は闘病生活が長かった作家である。そのため「病床で傑作をものにした作家」というレッテルを貼られることがある。これに対して倉田百三の妹である作家・倉田艶子(1896-?)は「出家とその弟子は兄の文筆生活中の一番健康な時に書かれたものだ」と反論している。(「出家とその弟子」ができるまで)
「病床で傑作をものにした作家」というレッテル誕生の発端は、どうやら倉田の晩年に交友があった亀井勝一郎にありそうだ。
「倉田氏の生涯をみてふしぎに思うことは、病気のとき傑作をかき、健康なとき駄作をかいたことである。「出家とその弟子」の読者は、ここにみなぎる逞しい意力と情熱に驚くであろう」とある。現代知識人の典型的評論家の亀井勝一郎がこのように言い切っている。(新潮文庫解説)
大正5年6月、姉の政子が重態であるとの知らせに、百三、艶子は帰省した。7月15日には政子死去する。倉田百三の年譜などでよく「出家とその弟子」は帰省先で脱稿したことになっているが、艶子の記憶によると帰省先で書かれたものではないという。百三が発病するのは翌年の大正6年になってからのことで、「出家とその弟子」は大正5年の健康時に書かれたものであるという。百三の帰郷と発病とが前後して名作誕生となっているが、事実は艶子の証言どおりであろう。
倉田百三(1891-1943)。明治23年2月23日、広島県比婆郡庄原町字庄原(現・庄原市)において、倉田吾作の長男として生まれる。一高時代、西田幾多郎に傾倒する。また宗教家・西田天香(1872-1968)の修養団体・一燈園に入る。「出家とその弟子」の親鸞は西田天香がモデルといわれる。
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