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2012年2月19日 (日)

道鏡の虚像と実像

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   横田健一先生が2月6日、逝去されました。心より哀悼の意を表すとともに謹んで先生のご冥福をお祈りします。ご著書「道鏡」の「はしがき」に、次のように記されている。

   道鏡の伝記には、小説めいたおもしろさがある。とくに後代にできたて俗説は、おもしろすぎるくらいである。もし人が、この書物に、そうした興味を期待してよまれたならば、おそらく失望されることだろう

    横田先生が道鏡研究に手をそめたのは、新村出、西田直二郎らの推挙があったからだそうで、昭和18年頃のことである。ちなみに作家の坂口安吾は昭和22年に道鏡を小説にしている。当然、横田先生も読まれたであろうことは想像に難くない。だが坂口安吾の小説を読むと、坂口が建部綾足の「本朝水滸伝」を読んで書いたような形跡はない。坂口の小説では、藤原百川が阿曽麻呂を使って道鏡を追討しようとしたとある。道鏡と女帝とは純愛関係であり、和気清麻呂も阿曽麻呂もぐるで、道鏡をおとすワナだというのだ。しかし、一見珍説に思えるような話は、すでに歴史家の喜田貞吉が「道鏡皇胤論」(大正10年)を発表し、その後、学界では、阿曽麻呂も和気清麻呂も、その手先につかわれたにすぎないという説は戦前かなり有力な説であったという。横田先生は戦後、実証的な研究により、戦前の説を否定し、本書を書かれたのである。半世紀以上経ったが、現在でも横田先生のものが道鏡研究の基本となっているようだ。

  要するに、道鏡の人物評価については、江戸の読本作家、明治の歴史家、昭和のデカダン作家、戦後の実証的歴史家、虚像と実像が混沌として決定打がないように思う。ケペルは道鏡悪玉論や巨根伝説には後代の創作であるという疑念を抱くようになっている。

道鏡関係文献目録

図書
弓削道鏡伝 松本幹雄 大同館書店 昭和8年
法師道鏡 上田正二郎 冨山房 昭和25年
人物新日本史 1 上代編 滝川政次郎 明治書院 昭和28年
道鏡 横田健一 吉川弘文館 昭和34年
論文
僧道鏡 久米邦武 史海12  明治25年
道鏡の艶聞 鼎軒 史海13  明治25年
僧道鏡の墳墓に就て 森本樵作 下野史談2-4 大正14
孝謙天皇 田口卯吉 史海8、9
光仁天皇 田口卯吉 史海10
僧道鏡 久米武夫 史海12
田口氏に答ふ 久米邦武 史海13  明治25年
道鏡皇胤論 喜田貞吉 史林6-4  大正10年
道鏡皇胤論 喜田貞吉 禅宗351-353  大正13年
道鏡皇胤論に就て 喜田貞吉 宗教と思想2-8  大正13年
道鏡皇胤論について 喜田貞吉 斎東史論
習宜阿曽麻呂の冤柱 喜田貞吉 歴史地理8-3
武将伝説と僧侶伝説1 弓削道鏡と冠石 田中勝男 上方116 昭和15
道鏡をめぐる諸問題 日本古代政治史のための断章 北山茂夫 立命館法学4-5  昭和28
清麻呂と道鏡 幸田露伴 朝日評論4-4 昭和24
弓削道鏡 滝川政次郎 新潮50-4  昭和28
道鏡伝考 横田健一 関西大学文学論集1-2、2-2 昭和27,28年
道鏡 門脇貞二 日本歴史講座2
道鏡事件の政治史的考察 古代天皇制の一性格 福富文哉 北陸史学5 昭和31
道鏡私考 堀池春峰 芸林8-5  昭和32
道鏡政権下の僧位について 舟ヶ崎正孝 歴史研究4 昭和41
道鏡政権の歴史的評価 天平神護元年三月五日の勅をめぐって 江川潔 史流2 昭和34
道鏡天位託宣の社会的背景 中野幡能 大分県立芸術短大研究紀要1 昭和37

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