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2012年2月27日 (月)

京の遊女と新選組

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    本日は「新選組の日」。この日が京都守護職・松平容保が浪士組を会津藩御預りとする建白書を提出した日だそうだ。当初は手当など支給されることなく、商家などに出向き献金させていた。給金が支給されるのは文久3年の暮れから。近藤勇50両、土方歳三・山南敬助40両、沖田総司30両、他平隊士は10両が支給されたとある。

    壬生の屯所から島原角屋は近い。島原をはじめ、祇園新地、二条新地、北野上七軒、新三本木などそれぞれの京洛の遊里は、活況を呈するようになった。従来の京町人を中心とした顧客に加えて、諸国より来集してきたかなりの浮動人口が、何かにつけて、遊里を利用したからである。壬生浪士隊こと新選組が島原などで豪遊したことは映画、ドラマなどでお馴染みである。芹沢鴨の行動は目に余るものであったようだ。若い沖田総司は廓あそびと無縁のようにドラマでは描かれているが、井上松五郎の文久3年4月22日付の日記では土方歳三らと遊里に行くとあるので、沖田も例外ではないかもしれない。

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