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2012年2月 1日 (水)

藩閥政治家・山縣有朋

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  吉田松陰の蒔いた種は、高杉晋作、そして伊藤博文、山県有朋へと続いた。山県有朋(1838-1922)は勉強が得意ではなかった。しかし、幕末の藩政改革で、武道が奨励され、軽卒にも、棒術以外の武術を学ぶ機会が与えられた。有朋は、槍術で出世を夢みた。明治天皇の御前で試合をした時、「槍の半七」といわれた名人林友幸と対戦し、引き分けるまでになっていた。参議、内相、陸相、首相、枢密院議長。明治42年、伊藤博文が暗殺されて以降は、山県有朋が元老として政界に君臨した。大正11年2月1日、85歳で亡くなったが、葬儀は国葬をもって弔われた。墓所は文京区の護国寺。

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「日本史」カテゴリの記事

コメント

山縣は最近再評価の動きがありますよね。
頭は良くないが正直一番の男だったようです。

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